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ナオヨシグループで頑張る人たちの取り組みをご紹介

代表取締役社長
井ノ瀬 広和さん
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おかげさまで株式会社井ノ瀬運送も60 周年を迎えることが出来ました。子どもの頃からずっとトラックに囲まれて育ってきたので、ディーゼルエンジンの排気ガスの匂いとか、アスファルトに反響するエンジン音とか、仕事終わりに立ち話をする人たちの声とか、五感で物流を感じて生きて来ました。自宅に何人も下宿している方がいて、夕食のおかずの取り合いだったり、一緒に洗車を手伝ったり。最近つくづくこの会社は自分の一部だな、と思うことがあります。一緒に働く皆様の将来が少しでも明るい未来であるように、というのが私自身の使命にもなっています。これからもグループの皆様の明るい未来が創造できるよう、しっかりと前に進んでいきたいと思います。

ロジカンパニー 運営本部 第一運営部 副部長
北田和人さん
1996年入社
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通勤時間は、片道1 時間45 分。ずっと通い続けられたのは、任せてもらえる仕事があったからです。コカ・コーラの配送から始まった井ノ瀬運送での業務、必死で仕事に邁進した日々。振り返ってみると、大きくなったな、と思います。これからの井ノ瀬運送を牽引していく若い世代には、壁に当たったとしても逃げずに立ち向かって欲しいと思います。その時はすごく大変だが、場数を踏むことで経験値が増え、知らない間に対応できる力が身に着きます。自分が成長する工程だと捉えて進んでほしいと思います。

管理本部 総務部 総務人事課
木村優子さん
2000年入社
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家計の足しにと入社した井ノ瀬運送、温かく情の深い会長と斬新なアイデアを次々と運んでくるまだ20代の社長との出会いがありました。当時の給与業は20日締めの27日払い。バソコンもなく手書きでの作業でしたので、給与日当日までかかって明細の準備をしたものです。子供の独立を機に家庭に戻るつもりでしたが、既に第二の家族の様な存在になっている井ノ瀬運送から離れがたく現在に至っております。これから益々多岐にわたり発展していく事と思いますが、思いやり、感謝の気持ちを忘れる事なく、皆で同じ方向に向かって進んで行ってほしいです。

トラックカンバニー 第一部 副部長
貝瀬友哉さん
2001年入社
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入社当初は物流センターがなく、間もなくして本格的なガイドセンターとして、羽生センターが立ち上がりました。これから深谷にフローズン・チルドセンターが出来る予定で、自社センターから保管、ピッキング作業、配送業務までのスキームを組むことができます。お客様からの需要もありますし、期待しております。私たちのお取引先様は食料品がメインでスーパーマーケットやドラッグストアに食品が届かないと多くの方々が困ってしまう重要なライフラインです。365日24時間の物流業務。この仕事を通し、社会的貢献を果たすこの業界の認知度が、もう少しあがってほしいと思っております。

井ノ瀬運送で思い出に残る出来事

◉車両台数、物流センター、営業所、管理者、ドライバーの増加や組織体制、福利厚生、給与面など会社が成長していく過程が見られた(23年目 46〜50歳)

◉1日に20〜30 台の車両が稼働していた仕事を失ったこと。ひとりの身勝手な行動でいとも簡単に仕事がなくなる事を目のあたりにして、ビックリしました。(26年目 46〜50歳)

◉荷物をお届けした先で、お客様から感謝の言葉をいただいたこと(16年目 46〜50歳)

昔はこうだったなぁ/昔はこうだったのに

◉休みなしで働けて、ガッツリ稼げた(21年目 46〜50歳)

◉残業の取り合いで寝ずに走ってた(26年目 46〜50歳)ナビもスマホもない時代だったので、どこへ行くにも道路地図を持ち歩き、先輩や上司の作成した地図を頼りに配送を行っていた(26年目46〜50歳)

◉荷主さんから賞味期限が差し迫っている製品を4tトラック2台分いただいた。(16年目51〜55歲)
※今は法律の関係上、廃棄処分

今では考えられない、昔の井ノ瀬運送

◉まだ若かりし社長が携帯ショップを初めたり、新しい風をビュンビュン吹かし、知らないうちに飛ばされていきました。(23年目)

◉事務所に帰るのが遅くなり、翌日の業務確認をしたら、2時間後に出勤するシフトが組まれていた。(21年目46〜50歳)

◉車両の速度制限がなかった。(23年目 46歳〜50歳)

◉デコトラ仕様の車両が多くあった。(26年目 46〜50歳)

◉全車共通の無線機が装着してあり、聞こえてくる会社の内容がひどく怖かった。入社して初めて聞いた時はやばい会社に入ったと少し思った。(26年目46〜50歳)

社会人人生を通し、忘れられないエピソード

◉初めて責任者となった時、荷主様の支店長からパソコンやエクセルの使い方を教わった。(27年目 46〜50歳)

◉初めて一人で商談に行き、業務契約をもらえたこと。(23年目 46〜50歳)

◉大雪のとき、センターに泊まり込みで対応したこと。(21年目51〜55歳)

一番忙しかったときは

◉年末業務は憂鬱になるほど毎年忙しい。(23年目46〜50歳)

◉新センター開設の時は毎回忙しい。(27年目 46〜50歳)

井ノ瀬運送で思い出に残る出来事

◉車両台数、物流センター、営業所、管理者、ドライバーの増加や組織体制、福利厚生、給与面など会社が成長していく過程が見られた(23年目46〜50歳)

◉1日に20〜30 台の車両が稼働していた仕事を失ったこと。ひとりの身勝手な行動でいとも簡単に仕事がなくなる事を目のあたりにして、ビックリしました。(26年目 46〜50歳)

◉荷物をお届けした先で、お客様から感謝の言葉をいただいたこと(16年目 46〜50歳)

◉車両台数、物流センター、営業所、管理者、ドライバーの増加や組織体制、福利厚生、給与面など会社が成長していく過程が見られた(23年目 46〜50歳)

◉1日に20〜30 台の車両が稼働していた仕事を失ったこと。ひとりの身勝手な行動でいとも簡単に仕事がなくなる事を目のあたりにして、ビックリしました。(26年目 46〜50歳)

◉荷物をお届けした先で、お客様から感謝の言葉をいただいたこと(16年目 46〜50歳)

昔はこうだったなぁ/昔はこうだったのに

◉休みなしで働けて、ガッツリ稼げた(21年目 46〜50歳)

◉残業の取り合いで寝ずに走ってた(26年目 46〜50歳)ナビもスマホもない時代だったので、どこへ行くにも道路地図を持ち歩き、先輩や上司の作成した地図を頼りに配送を行っていた(26年目46〜50歳)

◉荷主さんから賞味期限が差し迫っている製品を4tトラック2台分いただいた。(16年目51〜55歲)
※今は法律の関係上、廃棄処分

今では考えられない、昔の井ノ瀬運送

◉まだ若かりし社長が携帯ショップを初めたり、新しい風をビュンビュン吹かし、知らないうちに飛ばされていきました。(23年目)

◉事務所に帰るのが遅くなり、翌日の業務確認をしたら、2時間後に出勤するシフトが組まれていた。(21年目46〜50歳)

◉車両の速度制限がなかった。(23年目 46歳〜50歳)

◉デコトラ仕様の車両が多くあった。(26年目 46〜50歳)

◉全車共通の無線機が装着してあり、聞こえてくる会社の内容がひどく怖かった。入社して初めて聞いた時はやばい会社に入ったと少し思った。(26年目46〜50歳)

社会人人生を通し、忘れられないエピソード

◉初めて責任者となった時、荷主様の支店長からパソコンやエクセルの使い方を教わった。(27年目 46〜50歳)

◉初めて一人で商談に行き、業務契約をもらえたこと。(23年目 46〜50歳)

◉大雪のとき、センターに泊まり込みで対応したこと。(21年目51〜55歳)

一番忙しかったときは

◉年末業務は憂鬱になるほど毎年忙しい。(23年目46〜50歳)

◉新センター開設の時は毎回忙しい。(27年目 46〜50歳)

記事の執筆者
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ナオヨシ

今井淑巨

エステティシャンとして接客をする傍ら、運営全般、店舗の立上げ業務に従事。事業譲渡を受け沖縄と名古屋でサロンを展開。事業売却後、美容医療クリニック、ホテル、SPA、スクール事業に関わる。

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