バトンでつなぐ「わたしの新入社員時代」
- 園田葉二朗 -
#ナオヨシグループ
2023年7月
今回は、AIS株式会社の園田社長より新入社員時代のお話を伺いました。
私が入社した1997年は、バブル崩壊後なうえ、第2次ベビーブーム世代ですから、同世代の人口も多く、就職氷河期といわれる時代でした。その頃の私は、色々なことに興味があり、アパレルから飲食、メーカー、商社と様々な会社説明会に足を運び、今まで知らなかった世界をみようとしていたのを覚えています。そんな中で、独立系のIT企業と出会い、社長の熱い想いとアイデアの斬新さに惹かれ、当時研究していたAIについての論文を持って、面接を受けに行きました。
無事に入社することが決まり、私が最初に携わったことは、証券会社のディーラーやトレーダーが使う、発注システムを開発することでした。
当時は、今のように一般の人がオンラインで取引できる環境はまだなく、東京証券取引所で売買している株の半分は、コンピューターシステムを使わず証券取引所内で、手のサインを使って売買注文を伝えるような、人を介したものでした。
そのような時代でしたから、「コンピュータを使って株式の売買をするシステムを作る」ことは、先輩社員も初めてのことで、あまりノウハウもなく、手探り状態でした。みんなが独学であちらこちらから情報を集め、トライ&エラーを何度も繰り返し、開発を進めていきました。当時はまだブラックという表現がなかったこともあり、ピーク時には月400時間を超えて働いていました。私にとってのこの時期は、肉体的には厳しかったのですが、チャレンジの連続で、色々な経験を積むことができ、とても充実した毎日でした。
先日、当時一緒に仕事をさせていただいていた、お客様側のシステム責任者だった方が声を掛けてくれ、久しぶりにお会いしました。新人のわたしからしたら、気軽に話せる方ではなかったのですが、ひとつのプロジェクトを成功させるために、苦肉を共にしたからこそ、いまでもお付き合いが続いています。
懐かしい思い出ばなしをしながら、ふと、あの頃の私たちの仕事はどうでしたか?と聞いてみました。すると、「あの頃の我々は、とにかくあきらめなかったね」という一言が返ってきました。
振り返ってみると、証券会社側も取引の形態が変わっていく中、競争が激化し、生き残りをかけて奮闘している。我々もお客様が生き残るための要件を満たすシステムにしていかないといけない。と、ずっとこの挑戦を繰り返しながら駆け抜けた20代、すっかり忘れかけていた記憶がはっきりと脳裏に表れてきました。
そしてこれは「共創」のプロセスであり、私の原点はここにあったのだ、と気づきました。
時を経て、働き方も働き甲斐の在り方も、チャレンジの仕方さえ変わってきています。
それでも、これからの人生もあの頃のあきらめないこころで、色々なことに挑戦していきたいと思います。